作词 : 稲垣千頴 蛍の光 詞:稲垣千頴 曲:スコットランド民謡 「オールド·ラング·サイン」 螢(ほたる)の光(ひかり)、窓(まど)の雪(ゆき)。 書(ふみ)讀(よ)む月(つき)日(ひ)、重(かさ)ねつゝ。 何時(いつ)しか年(とし)も、杉(すぎ)の戸(と)を、 開(あ)けてぞ、今朝(けさ)は、别(わか)れ行(ゆ)く。 止(と)まるも行くも、限(かぎ)りとて、 互(かたみ)に思(おも)ふ、千萬(ちよろづ)の、 心(こゝろ)の端(はし)を、一言(ひとこと)に、 幸(さき)くと許(ばか)り、歌 (うた) をなり。 (歌白:卒業しきの歌いや お店が閉まる時に流れてくるメロディーいやいや紅白歌合戦のラストソング。 この歌に日本人が親しんでから、もうかれこれ130年になります。 学校生徒が出来て、子供がみな通学することになり、 音楽の授業、当時は唱歌の授業でいてましたが、それがスタートした明治十四年(1881年)、 一番初めの音楽の教科書に掲載されていた歌こそが、この歌、蛍の光でした。 今では二番までしか歌われていませんが、 最初はなんと、四番まで歌詞がありました。) 筑紫(つくし)の極(きわ)み、陸(みち)の奥(おく)、 海山(うみやま)遠(とほ)く、隔(へだ)つとも、 (歌白:筑紫だは九州、陸の奥は東北「陸奥」のことです。) その眞心(まごゝろ)は、隔(へだ)て無(な)く、 壹(ひと)つに盡(つ)くせ、國(くに)の爲(ため)。 千島(ちしま)の奥も 沖縄(おきなわ)も 八洲(やしま)の内(うち)の、護(まも)りなり。 至(いた)らむ國に、勲(いさを)しく。 努(つと)めよ我(わ)が背(せ)、恙(つゝが)無く。 恙無く。 (歌白:そうだったんです。 つまり学校を卒業した後は、愛国精神をもって、皆で国を守ろう、そういう歌だったんですね。 この歌が発表された後、日本は日清戦争、日露戦争に経って、 日本の国土をどんどんど広げていきます。 それにここで、四番は二番の「千島の奥も沖縄も」の歌詞が、 「台湾のはても、樺太も」と変化していくのです。 昭和二十年(1945年)太平洋戦争が唐突に終わりを告げます。 その後、 その歌詞は無くなり、 今の二番までの歌詞になっていくのです。) 開けてぞ、今朝は、别れ行く。 止まるも行くも、限りとて、 互に思ふ、千萬の、 心の端を、一言に、 幸くと許り、歌ふなり。 undefined