1884年、明治十七年に 音楽の教科書に始めて取り入れられて以来 長く人々の心に溶け込むこの曲 ところがこの歌 日本生まれの歌ではなく もともとは アイルランド民謡だったのです その当時は 「庭の千草」という題名ではなく 日本の国花 菊でした 夏の終わりに寂しく咲く一輪の花 という原詩を 訳詩の里見義は あえて初冬に残り咲いた菊として 冷たい霜にも負けず 凛々しく咲いている姿に書き換えました この詩は 耐えて花を咲かせるという 日本人の気質に 多いに受け入れられたのでした 庭の千草も 虫の音も 枯れた寂しく なりにけり ああ 白菊 ああ 白菊 一人遅れて 咲きにけり 露にたわむや 菊の花 霜におごるや 菊の花 ああ あわれあわれ ああ 白菊 人の操も かくてこそ ああ あわれあわれ ああ 白菊 人の操も かくてこそ