日本の国土はいろいろな特色をもっています。多くの人が第一の特色だと思っているのは、 国土面積が小さいという点でしょう。しかし、これは必ずしも正しいとは言えません。 日本の面積は三七万七六〇〇平方キロメートルです。これはアメリカ、 中国などと比べればかなり小さいのですが、ヨーロッパでは大国です。 つまり、ヨーロッパには約三〇の国がありますが、そのうちで日本より面積の大きいのは、 フランス、スペイン、スウェーデンだけです。 第二は、日本は島国だという点です。 本州?北海道?九州?四国の四つの島のほか、 四〇〇〇ぐらいの島からなっています。 第三は、北東から南西にかけて約三〇〇〇キロメートルの細長い列島で、 その海岸線は三万三千キロメートルにもなります。 第四は、山地?火山地などが国土面積の七十四パーセントを占めている点で、 主な火山は約二〇〇、そのいくつかは活火山として今も活動しています。 一方、低地は国土面積の十五パーセントで、人口の大部分はこの地域に集中しています。 第五は、高温で雨が多く、春夏秋冬の四季がはっきりしていることです。 地域的な気候の変化も激しく、太平洋側と日本海側、北海道と南西諸島では大きな差が見られます。 このような日本の自然を経済という点からみると、どうもマイナス面ばかり目立ちます。 第一に、国土が小さいという点を考えると、やはり、経済的には不利だと言えるかもしれません。 第二に、鉱物資源がないということも問題です。 第三に、自然の災害が多いこともあげられます。地震?台風?火事は日本の名物です。 二〇一一年三月十一日の東日本大地震は日本に大きな災難をもたらしました。 しかし、日本人の勤勉さ、教育水準の高さ、積極的な新技術の開発と導入、 資源、エネルギーの大量輸入などが日本経済の復興、発展と躍進の要因になりました。 会話 李  鈴木さん、日本という国はいつできたのですか。 鈴木 それが、中国や欧米の国のようにできたのではないんです。 日本がいつ成立したか正確に決めるのは難しいんですね。 李  それはどうしてですか。 鈴木 ひとつには、日本には四世紀までは文字による記録がなかったのです。 中国から文字が入ってきたのは四世紀ごろですから。 李  そうですか。それで正確に決めるのは難しいんですね。 鈴木 ええ。古代中国の文献や考古学の研究によると、 一世紀ごろにはさまざまな小さな国があったようです。 その後、これらの国々がしだいに統一され、四世紀に比較的大きな国ができました。 それが日本国だったとされていますが、何年に成立したかと確定するのは難しいのです。 李  でも、日本にも建国記念日がありますね。あれはなぜですか。   鈴木 これは参りました。李さんに一本とられましたね。そう、 二月十一日は建国記念日の日でお休みですね。 李  いや、失礼、そういうつもりはなかったんです。ちょっとつじつまが合わないと思ったものですから。 鈴木 日本の歴史書「古事記」と「日本書紀」に紀元前六六〇年に初代の天皇(神武天皇)が即位したと記されてあり、 その日が今の暦で二月十一日にあたるからなのです。 ただし、これらの歴史書が全部真実かどうかは学者の間でもいろいろ意見があります。 李  そうですか。日本の皇室は何年ぐらい続いているんですか。 鈴木 歴史で分かっている限りでは一五〇〇年くらい続いています。 現在の天皇は一二五代目です。 李  一五〇〇年も続いている皇室というのも珍しいですね。 日本の国名はどこから出てきたのですか。 鈴木 日本という呼び方になったのは七世紀ではないかといわれています。 「日出るところ」という意味で、聖徳太子が中国に送った国書に、 自分の国のことをそう表現しているところからとったとされています。 李  日本の国旗の赤丸は太陽を表しているんですね。 鈴木 そうです。日本の国旗は「日章旗」とも「日の丸」ともいいます。 李  日本には国章がありますか。 鈴木 公式には、日本には国章がないんですが、 国章の代わりに二つの皇室のマークが使われることがよくあります。 一つは16弁の菊の花、もう一つは桐のマークです。 李  ところで、天皇はいま国政上はどんな立場にあるんですか。 鈴木 日本はイギリス、オランダなどと同じように立憲君主国です。 天皇の立場は憲法に定められています。それによると、天皇は外交儀礼上は日本の元首になっています。 しかし、天皇は直接に政治を行ないません。内閣の助言と承認に基づいて、決められた国事を行ないます。 李  そうですか。オリンピックなどで日本の国歌をよく聞きました。なかなか落ち着いた曲ですね。 鈴木 曲は百年くらい前に作曲されたものですが、歌詞は千年以上も前の作品です。 歌詞は「古今和歌集」という古い歌集にある歌なんですが、作者は不明です。 李  そうですか。歌詞はどんな内容なのですか。 鈴木 「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで。」 李  小石が岩になるという表現はおもしろいですね。 今日は日本についていろいろ教えていただいてどうもありがとうございました。 ........応用文........ 日本人の名前 今から百年以上も前の古い書ものを見ると、農民や町人の名には名字がつけてありません。 たとえば、江戸時代の戸籍簿などを見ると、 名字と名前の両方が書いてあるものはほとんどありません。 「甚兵衛」とか「半助」などと、名前だけ書いてあります。   江戸時代の終わりまで、正式に名字をつけることができたのは、 武士かまたは特別に許された商人や村の有力者だけでした。 ですから、 一般の人は「名字帯刀を許す」と言われると、大変名誉に思いました。 なぜかというと、これは、当時、次のような考え方があったからです。 「武士は特別に偉いのだ。百姓や町人が、その武士と同じように名字をつけることはけしからん。」 士、農、工、商という身分のきまりはこんな小さなことにまではっきりと表れていたのです。     もっとも、農民や町人の間にも、名字のようなものが全然なかったわけではありません。            たとえば、 「青木」という名字をもった大地主の小作人に「太郎作」という人がいたとします。そうすると、 この人は、正式の名字がありませんでしたが、人々からは「青木の太郎作」などと呼ばれました。 また、 大きな橋のある村に住んでいた「五兵衛」という人は「大橋の五兵衛」と呼ばれたこともあったようです。 ところで、「国民は誰でも名字をつけてよろしい。」と決められたのは、明治三年のことでした。 しかし、長い間の慣わしから、進んで名字をつけようとする人はありませんでした。 そこで、政府は重ねて、「国民はすべて名字をつけねばならぬ。」という命令を明治八年に出しました。 人々はどんな名字をつけたらよいか、いろいろ考えました。 例えば、今まで「青木の太郎作」とか、 「大橋の五兵衛」などと呼ばれていた人が、 そのまま「青木太郎作」とか「大橋五兵衛」などとつけたこともありました。 また、自分で名字をつけられない人は、 村役場の役人などに適当な名字を選んでもらったこともあったようです。 たとえば、家の前に松の木があるから「松下」とつけたり、 山の入口にあるから「山口」とつけたり、昔の有名な武士の名をとって、酒井、本多などとつけてもらいました。 また、魚や野菜の名ばかりたくさんつけた村もありました。 武士の名字には、地名からとったものをはじめ、 寺の名や職業や植物の名などからとったものが多いと言われています。 日本では、結婚したら夫婦は同じ名字にすることになっています。 女の人が男の人の名字になることが多いです。 例えば「鈴木陽子」さんが「高橋一郎」さんと結婚したら「高橋陽子」になります。 しかし、結婚しても名字を変えたくないと思う人もいます。 夫婦が別々の名字を持つことを「夫婦別姓」と言います。 最近、この「夫婦別姓」にしたいと考える夫婦が増えてきたようです。